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福豆の謎

節分とは、豆をまいて鬼を追い払い家の中に福の神を招くという一種の悪霊払いの儀式とされており古くからの伝統行事の1つ。その際の豆を福豆と呼びます。

その豆まきが催される時期は、町内の取り決めにより若干の違いはありますが一般的には2月と決められています。


現代の日本は食糧事情が良く春夏秋冬のどの季節でも不自由なく食べ物を手に入れられる飽食の時代です。 しかし、節分の行事が始まった古の時代は恐らく今ほど食糧事情に恵まれていなかったのではなかったのではないかと考えられます。 ましてや、農作物が育ちにくい2月ともなると食料不足に対して深刻にならざるを得ない時期だったとも思われます。


僅かな食料でも大事にしなくてはならない2月に、どうして自虐的とも言える大量の豆をまくなどという行事を始めたのか?そもそも鬼退治と豆、福の神と豆という図式がどうも不可解に感じられます。


そんなことに考えを巡らせていたとき私が出合ったのは、実の親子でありながら互いに憎しみ嫌悪し、その因縁を料理で決着させるという内容で書かれた1冊の書籍でした。 それに登場する主人公が発した台詞「ひぇ〜、美味すぎて死ぬ」に、私は節分の謎を解くヒントを得たのでした。



福豆で獲物をおびきよせ獲る!

福豆は大豆を炒ったものであり非常に栄養価が高くて美味い。 年齢の数を超えての摂取は激しい腹痛を誘発し、場合によっては命に危険さえ及ぼすため禁止されていることは皆さんも知っての通りです。 しかし、美味すぎるため限度を越えて食べてしまう者が後を絶たないのが現実でしょう。


人間にとって食料の乏しい時期は野生動物にとっても同じこと。

節分には、自宅の門口に挿した柊鰯を挿したもので野生動物をおびき寄せ、その香ばしい匂いで食欲を増進させておき、動物たちは怪しいと思いながらも庭に撒かれた豆の美味さに我を忘れ多量摂取を行う。 福豆のあまりの美味さに動物たちは己の年齢の数を越えて死ぬほど腹いっぱい食べてしまい意識を失いついには絶命する。 その息絶えた野生動物を人間様が獲るという流れが本来の節分の意味合いだったのではないかと推測されます。 動物たちは、まさに美味すぎて死ぬわけです。

すなわち節分とは先人たちによる越冬のために行われた食料確保の知恵だったといえるのではないでしょうか。


【 おうちのかたへ 】

お子様が遠足で福豆をおやつに持参したご学友を発見したら、食べる豆の数を密かにチェックするように教えてあげて下さい。 万が一、年齢の数を超えて食べそうになったら「お、お前、命が惜しくないのか!」と大きな声で注意を促して助けてあげましょう。 その結果、良くも悪くも青春の1ページとして心の深い所に思い出として刻み込まれることでしょう。

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